そういう中で、なぜ移住・交流なのって言ったときに、もちろん、済みません、失礼させて座らせていただきます。地域活性化っていう大きな問題があるわけです。人がふえていかないと、やっぱり土地とか人と、空洞化が出てくる中で誇りが空洞化してしまうんです。ですから、自分たちの町に対する愛着とか、そういうものがどんどんなくなってどうでもよくなっていくことによって、大都市圏との格差感が非常に拡大してしまう。それと、例えば定住自立圏構想だとか、道州制の考え方だとか、いわゆる政策的なものが入ってまいりますので、新しい生き方っていうのをそろそろ模索しなければいけない時期に日本人が直面しているんじゃないかなっていうふうに思っております。
ここで、皆様もう十分御存じだと思いますが、地域活性化についてさらりとおさらいをさせていただきたいと思います。とりわけ、地域経済を取り巻く環境変化につきましては、私がお話しするような内容というよりは皆様が十分御存じだと思いますので、ちょっと飛ばさせていただいて、地域活性化ってどういうことだったのっていうのをちょっと振り返ってみたいと思います。高度経済成長の時代っていうのは、若者が都会に出ていったわけです。若者を必要としてたからみんな都会へ都会へと。地域過疎化しますよね、そのかわり社会資本整備を一生懸命国がやってくれたんです。そうすると、例えば道路を引いて下水道完備をきちっとすることによって、そうすると産業が生まれますよね。産業が育って雇用が生まれて人口がふえるから地域が活性化するっていう形で、きれいに循環されていたんだと思うんです。それが90年代以降になりまして、人口減少社会というのもあります。でも、グローバリゼーションというのが非常に大きく、情報もシームレス、すべてのことがあっという間に、きょうここでやってることがYouTube出したら、もう同時中継されているっていうような、そんな時代になってきている。情報化が進み、低成長経済になってきた中で、新たな地域活性化策っていうのが必要になってまいりました。
ここで生まれてきたのが、今までの古典的な地域の活性化だとか90年代以降の地域の活性化っていうのとまるっきり違って、どちらかというと古典的な地域活性化っていうのは国がシナリオを書いて、プロデュース、主演、上演が地域だったんです。すべて国が基本的には全体のシナリオを書いているんですね。場所は、じゃあ松江でやりましょうねと。だけど、プロデューサーも主演の人たちも全部国が決めましたよっていうのが昔だったんです。ところが、90年代以降になってくると、国がシナリオ書きますけれどプロデュースとか主演は地域がやるようになってきた。だんだんだんだん地域に移動していったわけです。でも、これからの地域活性化っていうのは、地域がみずからシナリオを書いて、プロデュースして、主演も全部地域が務めなきゃいけないんです。あえて助演ぐらいのとこに国が出てくるというような感じに変わってきてるんです。そういう意味では、ローカリゼーションということで、地域発っていうのはとっても大切になってまいりました。そうすると、この地域は何と。例えば、島根県というのはどういう県なのっていうことが、とっても大切になってまいります。そういう意味では、イニシアチブは国から地域に完全に移行してまいりました。
これは皆様のパワーポイントの資料の中にも入ってると思いませんが、ここからは入ってらっしゃると思います。地域活性化の目的、目標。これをもう一度確認していただきたいんです。地域活性化の目標っていうのは、産業が起こって雇用がふえて、地域の所得がふえて、生きがいを感じていつまでも住み続けたいと思う地域づくり。そして、そこに住んでいることが誇りになるような地域づくりっていうのが、活性化の目標です。そのためには、指標をちょっと見ましょうといったときには、例えば人口の定住、人材の育成、住民の活性化だとか、地域アイデンティティーの確立だとか、雇用の場の確保だとか、地域イメージの向上、こういったものが大体指標になります。これが、何年はこうだったけど何年後にはこうなりましたと、目標値はこういうふうにしましょうという形で、地域活性化っていうのは今まで行ってまいりました。そうだったときに、例えば御質問。島根県の魅力って何ですかと、私が皆様に問いたとします。一般的には景観だとか農産物や海産物、お祭りとかいろんなのがあります。自然資源から特産品、歴史資源、産業資源、生活スタイル、文化、風習、人、人材。これはすべて島根県の魅力です。活性化の目的を踏まえて、いろんな視点からいろんな人が参加して、明るく楽しく再発見する喜びみたいなものを持って、もう一度島根県の魅力と可能性を見ていただいた上で、そこにどういう人に来てもらいたいのか、移住者。先ほど言ってた一般の方たち。だれでも彼でも来た人はオーケーなんですかと。いや、そうじゃないんだよっていうんだったら、どういうことを考えてほしいのか。再認識していただかないといけなくなってくるんです。地域活性化の場合には、マーケティング分析をします。強みだとか弱み、市場だとか競合だとか、例えば自社、これは会社になってますが、3C分析とかSWOT分析とかいろいろ言われるものあります。これを地域活性化としての地域に合わせて、いろいろ具体的に確実にわかりやすく分析をしていきます。ポジショニング分析だとか、いろいろなものをやりながらやっていくんですが、地域活性化の戦略メニューというのがございます。
これは、経済産業省の資料から私どもがつくったんですけれど、大体、地域活性化戦略っていうと9つぐらいに分けられるだろうと。まず最初の移出化戦略っていうのが、域外から所得を稼ぐって書いてあります。これどういうことっていうと、まさに移住・交流みたいに外から来てもらう。企業誘致なんかも入ります。これを、だから外貨を稼ぐっていうふうに考えてくださいませ。そういう意味では、海士町さんなんか非常に有名ですけれど、海士町に私が伺ったときは、あのころは2003、4年だったと思うんですけれど、既にもうそのときから海士町は外貨を稼ぐんだと。外貨を稼ぐのはどこから稼ぐの、東京から稼ぐんだって言われましたから大したもんだと思いました。あの島の中で、東京から外貨を稼ぐんだって言い切ったその強さっていうものは、その当時はまだそんなに知られていませんでしたけれど、なかなかやっぱりここだからこそ発想する考え方なんだなと思いました。それがもう、今となっては海士町って言ったら、だれでも知っている、地域活性化をやっている方で知らない人たちは、もしかすると海士町のこと名前を知らないっていうだけで、にせものだって言われるくらいに随分知れ渡っております。でも、そういう海士町がやってることは域外から所得を稼ぐ。企業を誘致するっていうことはできなかったかもしれないけれど、新しい特産物をつくって外に売って、人を移住させてというやり方をとってたわけです。私が行ったときは、人口2,500人のときだったんです。2,600人にしないと、海士町はなくなってしまうからというので、首長さん以下、本当に全員がセールスマンとなって東京に来てらっしゃいました。びっくりしたのは、東京にいらっしゃったときに普通だったらホテル泊まるんですけれど、あそこの方たちは三、四人でまとめて来てウイークリーマンション借りたんです。そこで自炊しながらみんなで、きょう君は総務省、きょうは君は何省っていって作戦会議を練って出かけていったっていうのを私は拝見させていただいて、結構驚いてました。そういうところもあるんだっていうことで。
2番目の所得を逃がさないっていうのは、これは例えば地域通貨みたいな形で中で循環させるやり方です。
3番目の域内の需要創出戦略というのは、これは私なんかがやっておりますPBPと呼ばれる、パブリック・プライベート・パートナーシップで、いわゆる行政サービスの民間化っていうんでしょうかね。行政でやるべきじゃないところは、もう民間にアウトソーシングしてしまうと。そのかわり、民間の企業さんがそこで仕事にして、結局、域内で需要を創出し、それに対して仕事をしていただいて経済を活性化するというやり方です。
技術連携のネットワークとかIT活用戦略、これはもう書いてあるとおりでございますし、新産業創出戦略も新しい産業をつくっていこうという考え方です。
それから、人的資本充実化戦略だとか、対内直接投資、いわゆる海外企業に誘致しようというやり方。日本はこれから海外企業誘致っていうのが大分に出てくるんじゃないかなと思いますけれど、簡単ではないだろうなという感じはいたします。
あと、総合
地域経営戦略として、地域特性を踏まえて、こういった組み合わせをして体制、仕組みづくりをしていくということです。でも、ほとんどの地域活性化は、この9つのやつの組み合わせなんですね。1つででき上がってるなんてところはどこもありません。どこの地域も、これらの9つの戦略をうまく組み合わせてタイミング見計らいながら実行してることによって、地域活性化を実現してるところが多いです。
もう一つ言うならば、どのようにして分野を超えた取り組みを具体化できるかっていうのがポイントになってきてます。皆様、6次産業論というのを聞いたことがあると思いますが、1次掛ける2次掛ける3次。あれ、1足す2足す3でも6次なんですよ。掛けると足すとは、どういうふうに違うのか。掛けるっていうのは化学反応を起こすと言われてるわけです。実際、それが本当にそうなのか、現実的にやってみないことにはわかりませんけれど、いずれにしても農林水産業、工業、商業、サービス、観光、これが組み合わせてコラボレーションしていかない限り、新しいものが生まれてこないことは確かなんです。地域の課題を解決するための多角的な連携をどうやって推進できるのか。その地域の特性として農林水産業が盛んなのか、商業が盛んなのか、それによって違うと思います。隣がああだから、うちがこうというわけではないです。やっぱり、その地域地域に合わせたものを考えていかなきゃいけない。事業者さんに、だれが多い、どこが多いのか。その事業者さんとどういうふうに組めるのか。観光もサービスも、みんなそういうところの視点を持って、今やってきておりますし、それがないと新しい交流のきっかけなんていうのは生まれてこないと思うんです。
地域活性化っていうのは、人、物、金、情報、これの組み合わせです。つまり、地域にある経営資源です、言ってしまえば。人は知恵を使います。物というのは、工場とか何かもありますし、お金は企業さんも参加していただくということもあります。情報は、ありとあらゆる情報をうまく使いながらやっていかなきゃいけないという形ですが、一番肝心なのは当事者意識だとか産業の育成をし企業との連携をして協働の活動をしていくっていう、これをやっていかない限り地域の活性化というのはないんです。
やっぱり、一番大きいのは人なんです、でも。地域活性化が成功しているところ、例えば湯布院にしても何にしてもそうです。お客様にとって特別な価値を創造して、独自の世界観とストーリー、それから一貫性と永続性、これがあるところは活性化がずっと続いております。でも、本当に湯布院が突然できたわけじゃないんですよね。物すごい時間かかったんです。途中で失敗しそうになったというのもあるし、気持ちがなえちゃったときもあるんです。だけど、ずっと今までちゃんと無事で来られたのは、絶え間ない努力をしてきて改善をしてきてるんです。それも半端な年月じゃないんですね。湯布院が名前が知れ渡ったのは、湯布院がそういうことをやろうとやってから10年後です。本当に有名になったの20年後です。それまで湯布院というのは、小さな地域の中で一生懸命努力をなさってたんです。当然、中心人物になる方もいらっしゃいましたけれど、だからといって、その人がどんどんどんどん走れば周りの人たちは全員がついていって一緒になってやったかというとそうじゃなくて、その方が走れば走るほど距離があいてしまったりとか、いうこともいっぱいあったんです。そういうのを乗り越えて湯布院というのはあって、名前を聞くと美しいものしか想像しませんけれど、裏方はもうどろどろのものがいっぱいありました。でも、あそこが提供してるのは独自の世界観とストーリーです。湯布院のつくられたイメージというのは、そんなに簡単にもう消えません。
ただ、それはあくまでも観光だとか交流の世界ではよかったけれど、じゃあ、移住となったときに、湯布院に移住したいですかって言ったら、はいはいってみんなもろ手を挙げて喜ぶ人ばかりではないわけです。要するに、時代はどんどん変わっていくだけですよね。最初は観光って言ってた。それから、だんだん交流という言葉が出てきました。今度、移住という言葉が出てきます。この後、10年後にどういう言葉が出てきてるか、何とも言えないわけです。だから、そのときそのときに向けて今までやってきたことをいろんな形で花開かせてるっていうのが地域活性化の現状なんです。何かに向けてやってるんじゃなくて、その地域活性化という大きな幹を一生懸命やってる間にだんだんだんだんいろんなものにあわせて1つずつ花を開かせてきたっていう状況でございます。
地域活性化っていうのは、皆さん御存じだと思いますけれど、住民を巻き込んで広域で取り組んでみんなで汗をかくことが必要なんです。みずから楽しんで誇りを持つことが必要で、こういう活動に触れたとき、外の人間は、ああ、私もあそこに参加してみたいって思えるんです。住民を巻き込んでみんなで汗をかいてますから、ボランティアの方たちを募って県外からもいろんな人が来たりします。そういうときに、ああ、ここってすごく気持ちいい、みんな優しいし住んでもいいなって思われる方が出てくる可能性もあるわけです。
やっぱり人が大切っていう中では、よそ者、若者、ばか者と呼ばれる地域活性化の三大人物。よく御存じだと思いますが、よそ者っていうのは外部の人、移住した人です。要するに、よそ者の視点を持ってる人です。若者っていうのは、本当は精神年齢、本当の年齢が若い人がいいんですよ。でも、今、若者って引く手あまたですから、どこも欲しい人は若者っていうくらいですから、競争率が激しい。ですから、精神年齢の若い人。フットワークのよい人だったらいいと。ばか者っていうのは、褒め言葉です。地元の熱い人で、使命感を持って、この地域を何とかしなきゃいけないと、自分たちの子どもや孫のためにこの地域守っていかなきゃいけないと。自分たちの誇りを大切にしたいと、熱く使命に燃えてる方。この組み合わせがないと、地域って活性化しないんです。ほとんど、成功してるところは、このよそ者、若者、ばか者の組み合わせなんです。うまく組み合わさってます。人が人を呼んで、そんなグループができて、できてるんです。このよそ者の中に移住した人とか、移住を考えてる人というのは結構多いです。それまでいろいろ通ってた分、あそこでいろんなお手伝いをしてて、やっぱりここまでやったんだから来てしまおうという。そういう方が来ると、町は活性化します。活性化すると同時に、移住者の、その方たちがやっぱり類は友を呼ぶっていう形になってくるんです。だから、移住者を選ぶときってすごく難しいなって私いつも申し上げてるんですけど、ぱあっとわしづかみにだれかを選んでいったとしても、それはそれでいいのかもしれないし、来てくれる人だれでもオーケーっていうそれもそれでいいのかもしれないけれど、何か一つのコンセプトを持ってこういう方たちに来てほしいって提言することで、志がある方が集まると、またその町が変わってくるっていうことも確かなんですね。
それの一番極端な例が帯広です。帯広の十勝平野の移住は、一生懸命やってるとこございます。そこでは、どちらかというと事業者さんが集まってます。事業者さんの方たちが、移住してほしいっていう人たちっていうのは、やっぱり事業をやってる方なんです。手に職ある方歓迎と。私の知ってる方で、移住なさった方はデザイナーの方です。パッケージデザインをやってる方で、そういう方が移住なさって、神奈川県から帯広の方に移住なさいましたけど、最初はパソコン1つあれば帯広でも仕事ができるからって言って移住したんですけれど、実際に仕事は、東京の仕事はとらないと、地元で十分回るようになったと。そこが大きいところですね。地元で事業者さんが次から次へと、今度うちで新しい商品出すからパッケージ考えてよと。それが評判呼ぶと、じゃあ、うちのもつくって、うちのもつくってという形で、もう帯広近郊だけで仕事が十分できてると。たまに札幌まで出かけますと。奥さんとともども移住なさって、40代の方です、その方。そういうふうに、初めからうちはこういう人が欲しいんだよねって言ってるところもあります。移住はいろんなパターンがありますので。
もう一つ、活性化のときにやらなくちゃいけないことっていうのは、夢とロマンを語るのは結構なんですけど、現実、現金が必要なんです。この組み合わせができるような体制をつくっていただきたいんです。こういうものをやりながら、移住・交流というものをセットでやっていかないと、さあ、皆さん移住してきてくださいって言って、簡単には移住してこないんですよね。さっきも言ったような方たちが、今、東京に住んでます。この方たちが、さあ、次の人生どうしようかって今迷ってるわけです。もちろん若い方たちに来てもらうのが一番です。じゃあ、だけど、若い方たちにとってはもっと切実な問題は仕事です。ちゃんとした仕事の保障があるかどうか。住むところとか、教育、これは何とかなると思います。でも、一番大切なのは仕事です。海士町は、今みたいに移住なんて言葉がないときに、「ぐるなび」で移住してくれる人を募ったわけです。あのとき15人の移住者があったと思うんですけど、70人応募があったんだそうです。70人の方たちが海士町に来て面接をなさったと。そのときに出した広告が月収15万なんです。月収15万保障しますと。家は、空き家を何とかして補助が出るからほとんどただで住めますよと。仕事はこうこうこうですよと。海士町のみんなと一緒に町づくり頑張ってくれる人が欲しいんですと。町づくりっていうのは、自分たちが自分たちの仕事をしてるだけで町づくりの基礎になっていくわけですよね。だから、そうやって雇用とセットでリクルーティングをして、それで70名の面接をして15名、結局移住してきていただいたと。移住してきていただいた方たちは、もちろん御夫婦の方もいらっしゃるし、ひとり者もいるし、若い者もいるし、いろんな方がいらっしゃったと思います。その方たちが中心になって新しいグループができて、そこが次のまちづくりの活動拠点になっていったわけです。だから、そういう循環をつくり出していかないと、単に来てください、来てくださいって言っても難しいっていうのが、今の現状だと思います。
移住・交流希望者っていうのは、顕在化してる人っていうのは少ないです、はっきり言って。潜在的なお客さんっていうのは、結構あります。なぜかっていうと、デュアルライフとかいって、いろいろ今、移住・交流フェアみたいなのがたくさんございますよね。やっぱり、海外物ってみんな人が集まるっていうの聞いてますよね。でも、海外物はちょっと落とし穴がございまして、最近私も知ったんですけど、それこそ今から20年ぐらい前にマレーシアとかシンガポールに、海外の移住フェアみたいな形で気に入って、向こうにいらっしゃった方いっぱいいます。あの方たちがちょうど今大体80歳とか何かを迎えてるわけです。そうすると、認知症にかかられてるんですね。認知症にかかってきたときに、最初に忘れるのは後から覚えた言葉なんだそうです。だから、一生懸命60から頑張って覚えた英語が80歳になった今、全部忘れてしまって病院の方とコミュニケーションがとれないと。日本語は出てくると。だけど、通訳なんていませんから、非常に、だからフラストレーションがたまる生活をなさってらっしゃるわけです。でも、日本での財産は一切合財処分していらっしゃってますから、帰るに帰れない。今、水面下で一番問題になってるのが、日本人の認知症の問題らしいんですね。だから、そういう話が、もちろん絶対大っぴらにはなさってないと思います。なぜかっていうと、そうすると海外に、向こうにいらっしゃる方減っちゃいますから。だから、私は海外に行くのも何するのも75歳までって御提案してるのは、そこで決めなきゃなんないんですよ。75歳過ぎたら私はここにずっと住もうかどうか。住もうと思えば、そこで財産処分すればいいわけだし。やり方もいろいろ出てくると思うんです。そうなってくると、それこそ墓場までのセットで面倒見てあげることも必要になってくるわけです。それが移住者を受け入れるということだと思うんです。
でも、75ぐらいまではまだ遊びたい盛り。定年退職した後、もう今までずっと抑えられてきて、さあ、やりたいゴルフもいっぱいあるし、東京にいたら高いけど地域に行ったらゴルフ毎日できて幸せだなという方いっぱいいらっしゃいますよ。北海道の函館に移住した方なんてのは、週5日ゴルフなさってるっていう人もいます。それが楽しみで行ってるから。でも、週5日ゴルフなさって楽しみでやってる方に地域との交流を望んだって、全然交流する気ないですから。その人にとっては、ゴルフをすることが自分の生活なんです、セカンドライフで。ですから、地域との交流をしてほしいような移住者が欲しいっていったときには、そういう方ではないんです。移住者すべてが、皆さんが望むように考えてるわけではない。要するに、千差万別。こんなにたくさんいろんな日本人がいるのというぐらい違います。だから、そういうものを、そういう方たちをどうやって移住していただくのかっていうのは考えなきゃいけないから、ある意味で人生相談なんです。さあ、この地に来て皆さん何をやりたいんですかと。やりたいことがある方はいいです。やりたいことのない人は、生きがいづくりでお手伝いしなくちゃいけなくなってくる。さあ、そのとき考えていただきたい、自分の生きがい何だっていう話になってきます。そういう意味で、すごく大変なんです。だけど、移住・交流希望者からの問い合わせが来たときは大体、長期滞在、短期滞在、視察希望とかいう形になってきて、大体モニターツアーだとか、交流の体験ツアーみたいなものを1回経験して観光で来てみて、それから来るっていう形になると思うんです。
JOINがやっている移住・交流推進、これちょっと古いホームページですけれど、こういうとこ今問い合わせっていうのがふえてきてますし、当然窓口にいろいろと問い合わせするところがふえてきてるわけです。でも、私の周りを見ていると、本当に退職したお父さんがそば打ち大学に通いましたと。そば打ちで、もともとお料理好きだったけど、そばの腕はすごくよくなったと。さあ、そばを打てるようになったら今度は店を開きたいと。3年間の期限つきで奈良に移って、おそば屋さんを開くっていう家族がいます。結構いろんな方いらっしゃいます。なぜかっていうと、退職した後、お父さんが一番生きがいをなくしちゃったんです。その生きがいをそば打ちというところに見つけたから、それを生かしてあげないといけないとお母さんは考えたんですね。だから、移住というのは、逆に言うと、お父さんの人生とお母さんの人生をどういうふうにもう一度よみがえらせるかっていう話になってくるんです。別々に行動しても構いません。でも、それぞれが元気で生き生きと活動していれば、それができている地域であったらすごく幸せじゃないですか。それが東京でできなかったら、ほかのとこでしたいと思うじゃないですか。そういったものを、何か提案してあげられるとこの地域、島根県がとっても輝いてくるんじゃないかなっていうふうに思います。ここでできることって何でしょう。さっきの地域活性化じゃないですけど、もう一度考えていただきたいです。
北海道なんかで、ちょっと暮らしの体験者っていうのがいっぱいいます。ちょっと暮らしっていうのは、味わってみるのに一番いいわけです。ですから、でも2泊3日じゃ旅行になっちゃうわけ。だから、せめて1週間、2週間、そのくらいを体験的に過ごしてみて、それを希望するのは首都圏の人が一番多いです。ですから、首都圏の方っていうのは潜在的な、先ほどの移住希望者なんです。移住をしたいと思ってる方は、潜在的に多いです。ただ、どういうところに行ったらいいのか、何をしたらいいのか、それがまだ見つからずに。奥さんの方はなかなかその気になれず、だんなさんだけなっているっていうのが現状なんです。
ちょっとここで、データ御紹介します。笠間クラインガルテンっていうのが茨城県にあります。これは、都心から約2時間、車で、行かれるところです。クラインガルテンですから、いわゆる農家、農業ができるよってなってるわけです。年間40万円で、こういった感じの、見えますか、下、コテージを借り上げるわけです。年間40万です。5カ年継続して借りられます。5年たったら卒業です。これを借りて毎週末来て、農作業やってもいいですし、毎日来てやってもいいですけれど、大体来る方は男の方が多いそうです。奥さんは全然来ないっていう人もいます。週末に来てエダマメつくって、自分で収穫したエダマメでビール飲んで、隣のクラインガルテンに住んでらっしゃる方もお父さんだったと。じゃあ、2人で乾杯しようよってやっていると。お母さんはお母さんで、私は私の趣味があるわって言って都心で仕事をしていると、暮らしていると。別に離婚するつもりは全然なく。そういうふうに暮らしてる東京者は結構多いです。ここ、先ほど5カ年契約って言ってましたよね、5年、卒業した後って、ここに永住なさった人もいらっしゃいます、空き家を探して。
クラインガルテンみたいなものは、今、各地で本当に競争のようにできています。大体、値段も年間四、五十万というのが相場で、この間も四万十川のクラインガルテン見てきましたけれど、味もそっけもない殺風景なところですけれど、要するにラウベって呼ばれるこういったコテージと、それから畑があると。大体、週末利用がほとんどです。でも、そのうちに、そこに定住したいなということが可能なような一応の枠組みはできているという形です。
このクラインガルテンに絡んで、アンケート調査をしたんです。インターネットで1都3県、2府4県、要するに首都圏と関西圏だけに住んでいる40から60代の女性に対して、余暇に対してどういうふうに考えますかと。つまり、農業とかそういうことやってみたいですかってことも、興味があるかどうかっていうことも考えてアンケートいたしました。2地域居住で農のある暮らしをぜひしてみたいかどうかっていう答えに対しては、条件が整えばやってみてもよいっていう方が大体半数以上います。ですから、ほとんど移住っていうと農業がしたいっていう方が結構いらっしゃると思いますけれど、やっぱりそれはある程度セットなんです。移住して農のある暮らしをしてみたいかっていうと、やっぱりこれも条件が整えばやってもいいという方が半分ぐらい、45%いらっしゃいます。
関東では年代が上がるにつれて、妻のみの決定権が強くなります。つまり、2地域居住での農のある暮らしを決断するのはだれかって、これを聞いていったわけです。と申しますのも、どうも都心の男女を見ていると、決断をしているのはお母さんじゃないかなと思える節が多分にございまして、その仮説をもってこのアンケートをやりました。そしたら、半数以上はやはりお母さんでした。お父さんが行きたいって言っても、お母さんが嫌って言ったらそれで終わっちゃうと。つまり、お母さんを説得させるような材料が必要だっていうことなんです。昔の、将を射んと欲すれば馬を射よというやつで、まさにその辺のところを考えなきゃいけないと。お父さんが何となく行きたいなとあこがれていても、お母さんは現実、現金ですから、じゃあ、あなた生活費どうするのとかいろいろ言われちゃうと、お父さんしゅんとしてしまうというのも東京の現状です。そういう意味で、関東の40代を除きすべての部分において夫のみの決定権を持ってるというのはほとんどないです。妻より少ないです。関西の60代では、夫、妻が合意がほとんど同じ割合。
島根県に来る方って大体どこの方が多いのかと。これも考えていただきたいんです。島根に移住したいと思う方は、首都圏なんですか、それとも関西圏なんですかと。2時間で来られる人たちをターゲットとするんだったら、私は絶対関西圏ねらいますよね。2地域居住だとか、クラインガルテンやるんだったら関西圏のお客さんにしますよね。でも、まるっきり違うところからアプローチするんだったら首都圏ですよね。どこにねらいを定めるのか。日本全国から来てくださいっていう、そういう世界ではないと思うんです。北海道は、北海道という知名度と名前とイメージで日本全国から来てくださいで通用するんです。でも、島根県はそうじゃないと。どこの人たちを意図的に呼ぼうとしてるのか。同じ広告宣伝の費用かかるにしても、全国にばらまいて総花的にやったら本当にこれっぽちの金額になっちゃうんです。だから、ここって絞ってそこに広告宣伝かけないと全然それが通用しないわけです。そこで初めてコストパフォーマンスというのが出てくるわけですから、ターゲットをやっぱりはっきりしていった方がいいと。どこから来ていただきたいのか。
そうすると、例えば皆さんも口コミ情報とか何かってあると、御存じだと思いますけど、よかったわよって私も行ってみようかしらって、そういう流れってあるじゃないですか。女性はとりわけ、それ強いんですよ。その路線をうまく活用すると、例えばじゃあ、私も遊びに行ってみるわ。そこで、じゃあ、うちもここの近くだったらいいかもしれないと。そうやってだんだんふえていったっていうのは、妙高高原なんかのクラインガルテン、それから小千谷のクラインガルテンなんかもそうですけど、やっぱりそういう関係者がどんどん集まっていったっていうやり方は一つございます。それがすべてであるわけではありませんし、それがよしとするかどうかっていうのは島根県がお決めになることだと思いますけれど、そんな事例もあるということで覚えといていただければと思います。
関西では、年代が上がるにつれて妻のみの決定権が強くなる傾向ということで、関西ではお母さんの方が強いみたいです。ですから、移住・交流フェアとかツアーとかやるんだったら、女性中心でやった方がもしかすると受けるんじゃないかなと。2地域居住も移住も、やっぱり関東、関西、自分もしくは主に自分が決めるっていうのは大体3割ぐらいなんです。主に配偶者もしくはパートナーが決めるっていうのは、約25%ぐらい。自分と配偶者もしくはパートナーで話し合うっていう形になってるのが約4割っていう感じで出てますから、ある程度女性に決定権を持たせておいて、いろいろお話し合いをして決めていくっていうのが妥当な線じゃないかなというふうに思っております。
この例外の中には、例えば自分と子どもで農のある暮らしの意思決定をするとか、両親とも話し合って決めるとか、自分と親で決めるとかいう方もございますが、自分が主張し、配偶者とは多分別居となると思うなんて極端な意見も出てまいりました。ですから、そういう意味では、ちょっと我々が一般的に考えてるのとは考えられない思考回路で皆さん決定してるんだなっていうふうに思います。
地方で農のある暮らしを始めるタイミングっていうのは、配偶者もしくはパートナーの退職を機会にという形になってます。これが一番多いです。ですから、やっぱり60歳から63歳、ここが一つのポイントになると思います。暮らし方への希望として、趣味程度に野菜、花などを栽培したい。野菜、農業やりたいって言ったって、農業で生活したいなんて思ってませんから。適度にやって、自分たちの自家消費にすればいいわけですよね。自家消費でも余ります。そうすると、親戚あちこち送ります。最初の1年は、もうるんるんと送りますけど、2年目ぐらいになって3年目ぐらいになってくると飽きてくる。そうすると余ってきますから、もったいない。これ売れないかしらっていう発想になります。そのときに、同じクラインガルテンで、何ていうんでしょう、直売所みたいなものを用意して、何かそこでうまく使えるような形にしてあげると、ちょっとお小遣いがそれで入るとまたそれが生きがいづくりにつながっていくというような状況になっております。あと山、川、海といった自然を十分に満喫したいとか、近くの温泉を訪れたいとか。見ておわかりのように、農のある暮らし、いわゆるクラインガルテンだとか農業とか言っても、暮らし方としては退職した人たちが半分遊びで楽しもうという、要するに生活態度なんです。それを望んでらっしゃるわけです。そこを、どちらかというと農業だというふうに押されていっちゃうと、それはちょっと強過ぎる。だから、割と移住とかなんかを考える方たちの本当に農業をやりたいんですっていって来られない方の農業は、割と軽いもんだっていうふうに見ていただいた方がいいんじゃないかなと思います。
地方での農のある暮らしへの不安として、医療・福祉サービス、買い物の利便性、それから地域の人とのつき合いです。あと地域の慣習ですね。ですから、越していらっしゃることが決まったら、ここの部分を手厚くフォローしていただいてほしいんです。医療・福祉サービスはどうなっているのか。買い物の利便性はどうなっているのか。地域の人とのおつき合い、おつき合いのためのパンフレット用意してください。東京の人、全然知りませんから、地域とのおつき合い。何か、いつも監視されてるんじゃないかしらとか思ってしまう。ある程度の距離をあけて暮らしてるのが当たり前になってますから、人と人との触れ合いなんていうのがなかなか、昔あったんだけど思い出せない。それを、地域のおつき合いってこんなんなんですよっていうパンフレット、冊子を用意してあげて、いらっしゃった方に配ってあげてください。それと同時に地域の方にも、あんまり強要しないようにねっていうことを言ってほしいんです。あっちから入ってくるまで、ある程度距離あけてもいいんだよと。例えば、何かいろいろ町の、村の寄り合いがあった後、必ず宴会しますよね。必ず飲みますよね。悪いわけじゃないんですよ。だけど、そんなふうに飲むことが都会の人はなれてません。1回はいいけれど、2回目誘われて、うってなって、3回目誘われたらもうちょっと行くのやめようかなと思います。だから、毎回誘うけれど来られるときだけでいいのよって、一言言ってくれれば楽になるわけです。そういった違いっていうものを知っていただきたいんです。そういうものをまとめた本を移住・交流ハンドブックっていうのを今回出してますので、私、きょうちょっと持ってくるの忘れてしまったんですけど、後ほど御紹介したいと思います。
地方での農ある暮らしを決断する要因として、やっぱりこれはクラインガルテンの場合はとりわけなんですけれど、家庭菜園、ガーデニングができるような庭のついた住居を紹介してもらえるとか、不在時に農地を管理してもらえるような体制。非常に都合のいいことを考えてます。自分が行ったときだけうまくやって、あとは全部やっといてくれて。ですから、地元の人から見れば余りにも虫がよ過ぎるんじゃないっていう世界です。でも、アンケートにとるとこんな言葉しか出てきません。だからといって、このとおりにやればいいかっていうと、それはまた別物です。この地域には、この地域のこういうやり方があるんだということを教えてさしあげるのも一つだと思います。ただ、その教えてさしあげたときに余りそれを強制すると、じゃあいいわって、ぷいっていなくなるっていうのも都会人の、首都圏に住む人の特徴でもあります。私はこれは決していいことだと思いませんけれど、現実的に首都圏の人っていうのはそういうところがあるっていうことを覚えといていただければと思います。
空き家等の改修等、農のある暮らしを始めるために初期費用に対する支援制度があるっていう話がやっぱりあるんです。空き家借りるのはいいです。でも改修しなきゃいけないじゃないですか。個人で改修するのは大変ですよ。だから、ある程度の空き家が見つかったら事前に最低限の改修で済むようなところまで改修しといてほしいんですね。変な言い方ですけど、例えば学校の何ていうんでしょうね、取り組みの中に、授業のボランティアとか何かの単位の中に組み込んでもらって、学生さんたちに空き家の改修を少し手伝ってもらって、そのときにどっかの建築家の方呼んで、この間も例えば町の保存の仕方はどうなってるとか授業やってるというのを、佐渡なんかでやってるんです。佐渡はそういう形で、空き家をいろいろ補修しながら、住めるようなところまで持ってっといて、それで空き家バンクじゃないけれど紹介をしてるんです。だから、そういう何ていうんでしょう、お金を出せばいいっていうもんではなく、ちょっとした手間暇かけといてあげてくれる。それが、やはり来る方にとっては、ああ、受け入れられてるんだなという感じがすると思うんですね。その辺のちょっとした心遣いっていうのも、結構必要なんじゃないかなと思います。
時間があれですね。
風土や環境として、やはり日当たり、眺望がよいとか、現住地からの距離、アクセス条件、交通費、費用や建物以外にも行政がサポートしてくれる。いろんなものが出てまいります。こういうのも、自宅からどのくらいのとこにあるかっていうのがポイントなんです。同じ質問の中で、やっぱりどのくらいの距離が一番いいですかっていったら2時間という結果が出てます。だから、車で移動できる距離が2時間なんですよね。クラインガルテンみたいなものは、2時間ぐらいで行ったり来たり、週末だけ過ごすっていうのが一番理想的ですけど、じゃあ、2地域居住っていう言葉ありますよね。すごくおもしろいなと思うんです。2地域に居住する。いわゆる昔の別荘族ねって私は思ったんですけれど、そういう2地域居住なされる方っていうのは、もともと別荘族、リゾートに住むことになれてたりとかなさってますから、所得水準が高いんです。ですから、その方たちはあえて2地域居住なさいませんかって言われなくても、もう十分おやりになってるか、大体別荘持ってらっしゃいます。そういう方たちが、一番最初に別荘として買われてるところが長野県です。軽井沢を中心として、原村だとか何かもそうですし、それから八ヶ岳だとか、今ちょっと清里なんていうのはだんだんすさんでしまいましたけれど、小淵沢だとか、あの辺のところっていうのはまさに別荘族のところで、昔は別荘として使われてたんですが、最近、退職なさった方が全部定住し出してるんです。だから、別荘がそのまま定住先になっていて、軽井沢なんかもう相当量の方が定住してますよね。だから、そういう意味で、あの辺っていうのは昔から所得水準の高い方たちが住む場所っていうふうになっておりました。だから、2地域居住をどういう定義をするかによって、大分変わってくると思うんです。
あとは、だからちょっと住んでみる、試しに住んでみる。それをやった後に、本当に移住すると。移住した場合、じゃあ東京のうちはどうするのっていうのが一番問題になってきます。東京のうちを売っぱらって全部さっきみたいに財産処分して、マレーシアやシンガポールに行ったのと同じように事ができるかどうか。地域に行って、じゃあ例えば、私が東京のうちを売っぱらって島根に来てずっとここで一生いようと思って、最初に来たときはいいんです。何年かたってるうちに、ああ、やっぱり私はあっちに戻りたいなといったときに、どうにもならないわけじゃないですか。そういう意味で、先ほど言ったように75歳までに終の住みかを決めるように、東京のおうちは貸すとか何かをしないといけなくなってくるわけです。東京を貸すことによって収入が入るから、その収入と年金と合わせて地域で暮らすことによって優雅な生活ができるという、そういうねらいが首都圏の方たちにはあります。75過ぎの段階で、じゃあ、本当に地域で一生を終えようか、それとも東京に戻ろうかと、この
選択肢になってくると。これが、私は今の移住を考えてる方たちの深層心理というか、状況じゃないかなと思われます。
今の移住ブームは、ある種のブームです。ですから、これがもうちょっと自然淘汰されると、またちょっと変わってくると思いますけれど、現在、47都道府県こぞって競い合って競争の世界で移住を進めてます。どの県に行っても、どの市町村に行っても、ほとんどのところに移住推進課みたいなとこがありますし。じゃあ、差別化ってどうやってするんですかっていう世界になってくるわけです。だから、どこから手をつけるかっていう形だと思うんです。若い方を呼ぶんだったら、何しろ仕事をつくんなきゃだめ。それは絶対確か。ある程度、年の方を呼ぶんだったら生きがいづくりをどうやってお手伝いできるかっていうところがポイントじゃないかなっていうふうに思います。
きっかけづくりとして、モニターツアーだとか体験ツアーなんていうのもあります。ボランティアホリデーっていうのは、これは私が実際に今から5年前につくりまして、今も運営しているサイトなんですが、ただサイトですのでちょっと御紹介をしときますけれど、5年前に地域の交流人口を拡大したいというニーズと、都会の自然が豊かなところで暮らしたいというニーズをマッチングさせるにはどうしたらいいかっていうことを考えまして、ボランティアホリデーというのをつくったんです。これは、国土交通省と総務省から補助金を出していただきまして、北海道と山形、それから鹿児島、高知の18市町村を結んで、ボランティアホリデーという仕組みをつくったんです。どういうことかっていうと、新しい都市と地方の交流の形でボランティア活動を通じて地域の役に立って、地域住民と交流の機会を持つと。要は、観光で行っただけでは地域の方と交流するなんていうのは絶対無理なんですよ。住んだからといって、何かの接点がない限り交流なんてできないんです。一番手っ取り早いのはボランティアだろうということで、地域のボランティアを登録していただいて、そのボランティアに首都圏の方が応募するっていう仕組みなんです。それによって、とりあえず地域を味わっていただこうという形でやってみました。
地域らしさを感じるボランティアっていうことで、環境保全活動から、まちづくりから、雪かきだとか、もう本当に何でもありと。資格や技術を生かしたボランティアなんていうのもありますよという形で、実証実験をやりました。これ、ポータルサイトありますので見ていただければと思いますが、5年前に立ち上げまして、これ見るのも無料ですし、登録するのも無料になってますから、今は大体60市町村から登録をされております。それで、いろんな季節季節に合わせた祭りだとかイベントだとか、お手伝いから始まって、雪かきだとかモニターツアーのお知らせもあれば、ありとあらゆるものがあって、非常に優秀な優良サイトに登録されてるらしくて、荒らしも一切ないようなサイトです。私自身がこのサイトを会社からほとんど渡されてるようなもんですので、将来的にどうしようかっていうことで、今ちょっと検討の状況に入っているんですが、非常に公益性の高いサイトに成長してきましたので、このまんまできるだけ続けていきたいなというふうに思ってるサイトなんですが、最初にボランティアメニューを考えたときは、北海道はタンチョウヅルの保護だとかエゾシカにえづけとか、いかにもその地域でないとできないようなそんなボランティアもありました。山形県は、例えばサクランボの収穫だとか、ラ・フランスの収穫なんてのもありましたし、箱詰めだとか、要はボランティアっていってもお金もらうわけじゃないですから、一日お仕事をして、悪いなと思うとお昼ごちそうしてくださったりとか、泊まるところが安いところを紹介してあげるわけです。
これ、モニターツアーを組んだとき60歳代の男性の方が参加したんです。山形の天童市にその方はいらっしゃって、山寺のお掃除をボランティアでやってたんですね。毎日終わると山形の繁華街に行って、赤ちょうちんに行ってお酒を飲みながら、つまみも山形のものなんです。1週間もいたもんですから、毎日毎日行ってる間にそこと仲よくなるじゃないですか。いや、将来は私、ここに帰ってこようかなって思ってんだみたいな話が非常に盛んになって、それ以来、結局毎年行ってるみたいなんです。このサイトは最初は利用するかもしれませんけど、2回目からは別にこのサイト使わずに勝手に行っていただいて結構で。私は遠い親戚づくりって呼んだんです。だから、遠い親戚をつくるぐらいのそんな気持ちできっかけづくりをしていただいて、気に入ったら、結果、住んでみないかと。このやり方しか、なかなか移住ってないんじゃないかなって思っておりまして、そういうものからスタートしてみたらどうかなというのでこれを始めまして、各地域でお役に立てればと思って、結構いろんな棚田ボランティアだとか草刈りボランティアだとか、人形と花のフェスティバルだとか、いろんなのございますが、出ております。それで、高知県の黒潮町のTシャツアート展というのは、これ5月の連休に、うわあと1,000点を超すTシャツが砂浜にばあっと干されるんです。それとTシャツアートと呼んでて、結構世界じゅうからいろんな方がいらっしゃるんですけれど、これをボランティア募集するのを全部さっきのサイトでボランティア募集をやっています。これをNHKが取材が入って、またNHKで流れたりしたもんですから、結構、毎年毎年楽しみにしてて、これのボランティア募集が入ると必ず行くっていう若い方が多いです。だから、このサイトに尋ねてくる方たちっていうのは、別に年をとった方ばっかりではなく若い方もいっぱいいらっしゃいますし、学生さんなんかもいらっしゃいます。
今は、例えば団塊の世代の方たちの移住っていうものをやっぱり対象とせざるを得ないかもしれないかもしれませんけど、若い方たちで、それこそ小学生とかそのぐらいのところから、ここはいいとこだよって刷り込みますと大人になると必ず戻ってくるんです。ですから、できるだけ若いときにそういう経験をさせてあげるっていうのも、将来にとっては役に立つのかなっていうふうには思います。
ボランティアホリデーってなあにって、ちょっといろいろあちこちで特集されたもんですから、そんなのがちょっと載っています。
今、JOINさんのほうで田舎暮らしワーキングホリデー・モデルプランなんかも連携でさせていただいてますし、セブン&ワイだとか、ヤフーのボランティアサイトとも連携なんかもしております。基本的に、このボランティアホリデーは全部ただですから、使えるときにはうまく使っていただいてという形になると思います。
お手元には参加者の感想だとか何か載せてありますので、それは後ほど見ていただきたいんですが、移住・交流の持つもう一つの大きな影響っていうのについてちょっとお話ししたいと思います。
これ、先ほど一番最初にアメリカと日米の人口の予測比較をさせていただきましたけど、そのときに20年後の日本を考えるということで、アメリカのシニア向けビジネスの推測から、日本のシニア向けビジネスがどうなっていくんだろうということを推測、いわゆる分析してつくったものでございます。そのときに、大きくは家族、生きがい・楽しみ、資産と、この3つに分かれるだろうと。資産はとりわけ年金だとか投資だとかそういったものですから、ここが安定すると大体人間は、高齢者の方たちは楽しみ・生きがいのほうに入っていくわけです。そうすると、別荘、旅行、教育、車買いかえるとか、大体そちらの方に消費の動向が移っていくだろうというふうに言われておりました。これはアメリカのものも日本のものも、ほとんど変わりませんでした。ただ、予測不能だったのはリーマンショックに代表される、ああいう金融的なものが起こるとか、それから経済がここまでひどくなると。それから、先進国がここまで成熟化してしまって、もう後進国であった、いわゆるブリックスな国々どもに取ってかわられるというような状況はここまで早く来るとは思えなかったわけです。そういう意味では、大分ちょっと予測は外れたというよりは、もう少し資産に対して皆さん落ちついてられるかなと思ったんですけど、今ここにまだ執着があり過ぎて、こっちになかなか移り切れてないというのが現状じゃないかなというふうに思います。
でも、その中で移住・交流に絡んで出てくるのが生活産業ビジネスになってまいります。生活産業ビジネスというのはどういうものかっていうと、子育てサービスとか健康・安心サービス、暮らし・便利サービス、これ中に細かいもの書いてございます。だけど、高齢者のケアサービスだとか、二次住宅関連サービスだとか、新環境サービス、これから出てくる新しい仕事っていうのは、こういう生活産業ビジネスにならないとシニアの人たちを取り巻く環境変化の中では大きな仕事っていうのは出てこないんです。日本で、じゃあ新しい産業が育つかっていうと、まだちょっと時間がかかるだろうと。そうすると、こういう小さな仕事が皆さんを必要として、地域で一つの仕事として成り立つ、雇用を生ませることができるものではないかというふうに考えたわけです。
例えば、高齢者ケアサービス。介護の仕組み。皆様、御親戚、御家族のうちにこういう方がいらっしゃればわかると思うんですけど、こればかりはなってみないとわからないっていう世界なんです。私は、昨年の3月に母を亡くしまして、その前にちょうど要介護認定だったんですね。介護生活を仕事と一緒にやってて、もう本当に死にそうな思いをしたんですけれど、そのときに本当にとことん調べたわけです。うちの母はどうしたらいいのか、どこに入れたらいいのか。そうなってきたときに、要介護認定で介護施設と在宅サービスとあります。政府はどんどん介護施設に入れるのではなく、在宅サービスを進めたわけです。在宅サービスを進める、デイサービス、ショートステイ、ホームヘルプサービスって出てくるんですが、これが私みたいに母と同居してるとなるとデイサービスもろくに何にもやってくれないんです。一緒にお嬢さんが住んでるんだから、やって当然っていうのが彼らの考え方で、そのお嬢さんが仕事をしててとてもじゃないけど家にいられないっていうことは考えてくれないんです。そうすると、デイサービスでも買い物はしてくれるけど料理はつくってくれないんです。だから、私は母の面倒を見ながら仕事をするっていうことはどういうことかっていうのが、日本においては不可能だっていうことをつくづく感じたわけです。結局、人を雇って、デイサービスでなくて、自分で家政婦さんを雇って母の面倒を見てもらうしかないわけです。こんなことをやってたら破綻しますよね。そういう世の中なんだっていうのが、よくわかったわけです。
一方で、介護施設っていうのは特別養護老人ホーム、それから有料老人ホーム、グループホームの3種類ございますが、入居者の待ちが多数だったり費用が高額だったりっていう形で簡単に入れない。これが東京の現状です。まず第一に特別養護老人ホーム、これは公的なものですから300人待ち当たり前です。東京で特別養護老人ホーム入ろうと思ったら、300人、350人、400人待ちです。みんな登録だけしてずっと待ってます。待ってる間に亡くなりますっていうのが現状です。有料老人ホーム。やっとこさっとこ、今最近安いのが出てきましたけれど、ベネッセあたりがやってたのは入所金2,500万円、毎月毎月かかるお金が40万から50万です。それで初めて、今までの生活と同じようにできますよと、それがどこの家庭が払えるんですかと。じゃあ、ほかにどんなのがあるんですか。ランクが落ちます。1,500万、2,000万円の入所費用を払って、月々35万払えばこの生活です。見て、嫌になりました。私はこういうとこに御厄介になりたくないと。じゃあ、皆さんどうやってここに入ってらっしゃってるんですかと聞きました。認知症になる前の方たちが、みずからそういうところ買って入ってる方がいらっしゃるという。2,500万円の入所金を払って、自分の住んでたマンションを売って2,500万円の入所金をつくって、あとのお金は全部、毎月毎月の費用に回して、これで安心してこのうちでずっと死ねると思って買ったというか、入ったところが、周りは全部認知症だらけになって、自分だけはちゃんとしてるんだけど、だんだんだんだん取り残されていって、ここにいたら私も認知症になってしまうっておっしゃってた方がいたんです。これが日本の医療、福祉の現状なんです。
今後、有望とされてるのが、高齢者専用賃貸住宅とか小規模多機能型施設。あと認知症専用のデイサービス、在宅医療というふうに言われてるわけです。これをやってるのは、島根県で吉賀町で今現在取りかかっております。私、つい最近、昨年の、これ何月だったかな、1月だったと思いますが、吉賀町に行ってまいりました。実際どういうことかっていうのは、最後まで安心して暮らせる高齢者住宅事業を核にしながら、六日市学園、ここ介護科ありますよね、ここで人材育成してるんです。43人の1年生の半数以上が都会からの移住者です。まさにフリーターと呼ばれる方たちを、奨学金があるから勉強しなさいといって募集して来てもらって、介護の2級を取らせるわけですよね。でも、取ったとき後どうするのと。六日市にはいっぱい、もう病院はあるかもしれないけれど、介護の人は十分足りてるかもしれないから、どっかほかのとこに行ってもらう場合もあります。でも、ここがやろうとしている、例えば高齢者のひとり暮らしや障害者の見守り事業だとか生きがいづくりとかあわせてやっていこうとしてることというのは、今の日本が必要としていることじゃないかなというふうに思うんです。なぜかっていうと、ここは高齢者専用賃貸住宅プラス小規模多機能型施設っていうのをつくろうとしてるんです。これはどういうものかっていうと、入所金っていうのは家賃の前払いなんです。だからマンション買うのと同じ。大体1,500万ぐらいで、自分の入ってから死ぬまでのマンション代を払ってると思ってください。それに管理費が月に四、五万なんです。それで大体30人ぐらいかな、もうちょっと少なかったかもしれませんけど、いわゆる高齢者の専用住宅なんで。1LDK、2LDK、3LDK、それは自分で好きに選べばいいわけですけど、それをマンションを買って私はそこに1人で住んでもいいし、夫婦で住んでもいいし、兄弟で住んでもいいわけです。そのままずうっと終の住みかになるように、そこで死ぬことができるようにデイサービスもセットされてるんです。何かあったときには、病院もこうなってると。
さっき言ったような有料老人ホームだとか特別養護老人ホームなんていうのは、都会の人たちはもう無理だっていうのがわかってきたから、一つのやり方としてこういうところを自分たちでつくろうという動きが出てきてるんです。この話を私は都会の、まさに60を迎えるというか、50から五十五、六ぐらいの男性の方、一流企業のサラリーマンの方たちの前で講演したときにお話をさせていただいたんです。そしたら、ぜひとも入りたいと。どこでやるか、今度教えてほしいと。島根県吉賀町は遠いかもしれません、はっきり言って。だけど、こういう仕組みはどこでもできるんです。それを集めて、やりたいと思ってる方たちが集まって、マンションの間取りを考えるところから、設計士の人と相談してつくりますから、まさに自分の家感覚なんです。1,500万の入所金というのは、そのまんま家賃になるんだったら、もう家賃払わないで済むわけですから、自分の終の住みかとして考えるんだったら、一つのコミュニティーづくりもできますから。こういうコミュニティーもありかなっていうふうに思ったんです。こんなコミュニティーがあって、その周りに畑があって、先ほど言った農業ができて、ちっちゃなレストランがあって日がわりで有機栽培した野菜を使ったお料理を出してくれて、ヘルシーに暮らせて、生きがいが持てて、若者たちとの交流があって地元との交流があって、こういう生活だったら首都圏の人にとってはプラスアルファの生活になってくるわけです。だから、単なる移住・交流っていうのは、もう皆さんがやってます。競争、競争、競争の連続です。そのうちに、幾らお金つけるのが競争になってくるんじゃないかと思うぐらいです。そうじゃなくて、特色のある島根県だからできるっていうものをぜひとも考えていただければなというふうに思います。
この吉賀町の場合は、たまたま六日市学園という介護科がある人材育成ができるところであり、5者協定で町と六日市学園と六日市病院とコミュニティーネットワークグループが一緒になってやったわけです。だから、そこを中心とし、地域おこし応援隊という総務省から送られた若いメンバーが行ってますし。要は、だから何かをやろうとしてるところには人が集まってきます。人が集まってくると、そのエネルギーがまた人を呼ぶんですね。私がこうやって、吉賀町のほうに行って聞いてきた話をあちこちでしますから、皆さんが興味を持つわけです。そうすると、また次に吉賀町に行ってみようかなって思うようになってくる。そうやって、町の何ていうんでしょう、うわさが広がり、日本の中で新しいものっていうのがとらえられていくんです。だから、そういう意味では、ここは一つの事例になるかなと思ってますので、せっかく島根県にありますので、もし何かありましたら行ってみてくださいませ。
移住関連ビジネスっていうのは、先ほどから言ってる生活産業ビジネスっていうふうに近い部分がいっぱいございます。生活・健康関連ビジネスだとか、アウトドアとか、観光関連、住宅関連、スポーツ・趣味関連、食関連。だから、どうビジネスにしていくかっていうことがポイントになってきます。例えば、「ぐるなび」さんは定年退職を迎える東京で働いてるシェフの方たちを集めて、それぞれ例えば地域でレストランを開かないかっていうふうな勧誘をしてるそうです。そのときに、地域でレストランを開く支援を「ぐるなび」さんがなさって、自分たちが持ってる腕1本で自分たちが行きたいところで、あと最後の仕事をできる。だから、こうやって腕のある方たちをうまく集めればそれができるわけですよね。だから、いろんなやり方があると思います。「ぐるなび」とそういうところと連携するというやり方も一つのやり方があります。島根に新しいレストラン、地元の野菜を使って、地元の材料を使って新しいフレンチ料理をつくってみるっていうのも一つかもしれません。そうやって新しい職場をつくれれば、そこに雇用が生まれますので、また新たな人がやってくると。
山形県にアル・ケッチャーノってすごく有名なレストランがあるの御存じですよね。皆さん、すぐうなずくとこ見るとすごく有名だと思いますけれど、鶴岡にございます。私、鶴岡のあそこの大学院の夏季集中講座をずっとやってたもんですから、アル・ケッチャーノに何回か行かせていただいたんですけど、アル・ケッチャーノには東京からツアーコースができてます。アル・ケッチャーノでお昼を食べて、夜は湯野浜温泉だったかな、あそこに温泉に泊まって、飛行機もセットになって1泊2日コース。アル・ケッチャーノっていうだけで人が集まるそうです。そういうレストランをつくるっていうのも、1つのやり方です。そのアル・ケッチャーノの姉妹店が銀座に、山形県のアンテナショップの2階に入ってます。これがまた、予約がとれないレストランということで。本当にそうなのかよくわかんないんですけど、もう評判になりまして。何か、電話をするのも嫌になるくらい予約がとれない、予約がとれないって言われますんで、電話をしないで何カ月か待ってるんですけれど、一度行ってみようかなと思ってるんですけど、そうやって人の話題に上ります。何か、やっぱりある種、食っていうのも一つの切り口にはなるんじゃないかなというふうに思います。
これはJOINさんがやってるやつですけど、和歌山県が、いわゆる福利厚生事業と連携して和歌山に泊まりに来てもらおうというきっかけづくりをやったものです。ただ、今は企業さんが福利厚生に全然力を入れてませんので、はっきり言って、ちょっと。昔頼りになる企業さんだったんだけど、今全然頼りにならなくなってきてますから、企業がもうちょっと回復するまでは、やっぱり自治体、公共行政が頑張ってやっていくしかないのかなというところはございます。
本当に公共サービスの範囲って、どんどんどんどん時代によって境界が変動していきます。右肩上がりの環境下だった場合には、行政の活動領域っていうのはすごく多かったんですけど、だんだんだんだん民間領域が本来だったらふえてくるはずだったんです。それが、ちょっとこの経済状況で後退しまして、何か昔に戻りつつあるところがあると思うんです。でも、本来でしたら、公共サービスっていうものは、ちょうど民間領域と公共領域があって、その間の空白の部分っていうのをできるだけNPOだとか地域が埋めていただいて、そこがやっていかないと、なかなか今の形もずっと続くわけではありませんし、公共といえども予算が限られてますから、その辺がつらいなというところではございます。
21世紀、私たちが言ってるのはPPPを進めていかざるを得ないだろうと。いわゆる、官民協働です。官民協働を進めていかざるを得ないってなってきたときに、民間事業者がやることと、やっぱりコミュニティーだとかNPOにやってもらうことと、行政がやること、それぞれが役割分担してやっていかないと地域っていうのは生き残っていくのは難しいんじゃないかなと思われることです。
これは中国地方の総合研究センターさんがおつくりになったんですが、地方経済の現状ということで、ここに赤線があるんです。この赤線より右側の方、公共事業費率が高い。1人当たりの製造業の産出高が低いっていうとこなんです。残念ながら、島根県ここに入ります。それで、ちなみに地域活性化で呼ばれることの多いところっていうのは、こっちの赤線から右側なんです。私が行ってないところはない、県では行ってないところないんですけど、この呼ばれてるところは非常に回数が多いです。つまり、公共事業費率が高くて1人当たりの製造業の産出高が低いところというのは、やっぱり活性化をどうしてもやらなきゃいけないと。北海道を始め、宮崎もそうですし、鹿児島、鳥取、新潟、もう何回も何回も伺っているところです、何とかせにゃいかんということで。
やっぱり、自治体が積極的に企業と連携したりとか、地域の生き残りをかけた競争をやっていっていただきたいんですけど、企業自体が本当にアジアに出て頑張っていかない限り、だめになってきてるんです。連携、M&AとかTOBが主流となる企業戦略で、中国を代表とするアジアへの進出か、地域を手を携え国内市場の開拓か、この2つに1つに絞られるような今の日本企業の状況でございますので、今、自治体さんが頑張るということは、ある意味で一つ意味があるんじゃないかなというふうに思われます。
もう一つ、先ほどもちょっと人事部長の会に出てるっていうお話ししましたけど、最近話題になってたのが日本企業がとってきた人事・教育施策の功罪という形で、例えば組織のスリム化、フラット化だとか、個人の能力向上とプロ化の推進とか、目標管理と成果主義、これうちの会社なんかも全部やってますけれど、こういうことをやり続けたおかげで、チーム力が弱体してコミュニケーション不足でチャレンジ精神を失った職場とか、個人主義の蔓延、価値観のばらばらな職場、何か皆さん心当たりあると思いますけれど、こういう状況になってきたんです。これ、どこが例外じゃないです、日本国じゅう全部そうなんですよ、困ったことに。日本の企業全部がそうで、これを何とかしなきゃいけないというのが本当の命題なんです。今、各大手の企業さんなんかもこれを何とかするために、どんなふうな施策をやったらいいのか、どんなふうな研修をやったらいいのかっていうので頭悩ませてます。そういう関係で、経産省が中心となった委員会で、ちょっとずっと私もやってたんですけれど、やっぱり外国人を採用しなきゃいけないんじゃないかと。とりわけ、外国人の留学生。ハングリーで、日本人が持ってない。昔の日本人が持ってたものを今は中国人の留学生が持ってるわけです。それで、少し刺激を与えなきゃいけないんじゃないかとかいう、話も出ています。
今の若者たち、とりわけ新入社員もそうですが、やっぱり一番大切なのは、3つの実感を感じる仕事ができたときに、いわゆる途中で会社やめたりとか、フリーターになったりしないって言われてるんです。その3つの実感っていうのは何かっていうと、何かに貢献できているという実感。それから、自分が成長できているという実感。それから、だれかと一緒にやって、例えばプロがいて、その人、尊敬できる人がいて、この人と仕事してよかったという協働の実感、この3つの実感の感じられる仕事をしてると、絶対、仕事やめずに仕事のおもしろさがわかっていって、生きがいをつくっていけると言われてるんです。企業はどういうふうにこの3つの実感を与えなきゃいけないのかっていう話になってるんですが、これって私は地域のほうがあるんじゃないかなと思ってます。地域づくりに頑張れば、貢献する実感も成長実感も協働実感も全部味わえるはずなんです。ただ、それをどうやって若者にうまくそれを知らしめるのか。これが難しいのかなということだと思うんです。地域を元気にするという仕事は、すごくやりがいのある仕事ですし、若者にとっては本当に成長も貢献も協働も味わえる仕事だと思うんですけれど、そういう意味で、地域おこし応援隊であちこちに行ってる若者たちを私はすごく応援してるんですが、そういう人たちがやっぱり地域を中心に日本を元気にしていってくれるんじゃないかなというふうに思います。そうしないと、前にあった個人主義の蔓延、価値観のばらばらな職場の中に育っていく新入社員っていうのは本当に悲しいものがございますので、これからの日本を背負っていくのはちょっと悲しいなという感じでございます。
さて、最後になんですけれど、この後、皆様からの御質問なんかを受けたいと思いますので、やはり島根県としては県民を知ってほしいんです。自分は県民だから、みんな自分と同じだろうと思うと、意外とそれが違っていて、住んでいるところによってもみんなそれぞれ、仕事によってもそれぞれ県民変わってきてると思うんです。県民のプロフィールっていうのが、皆さんが考えてるのと今の現状とがどのくらいちゃんとマッチしてるのか。この島根県に来てくださってる方たちは、どこの方が多いのか、それも知ってほしいです。島根県を愛してくださってる方たちっていうのは、首都圏の方が多いのか、それとも関西圏なのか。それによって、さっき言ったようにねらっていくところも変わってきます。
具体的に、最終的な目標は移住だとしても、移住をするためには最初から移住では来ませんから、どういうステップを踏んでいったらいいのか。ホップ・ステップ・ジャンプじゃないですけど、それをもうちょっとはっきりさせた方がわかりやすいんじゃないかなと思います。
やっぱり地域へのこだわりと愛着を重視してほしいです。謙遜して言われる方いますけれど、うちはでも何にもないんだよっておっしゃる方いらっしゃいますけど、ないものはどっかから補えばいいんです。でも、あるものはいっぱいありますから、それはやっぱり誇れるものがあると思いますので、そこをもう一度再認識していただきたい。とりわけ、よそ者の目で見ていただきたいと思います。先ほど言ったように、よそ者の目と中の人の目とは違いますから、チームをつくるときにはよそ者を必ず入れてください。よそ者の目がどういう目なのか。判断の仕方変わってまいりますので、そういう新鮮な目で物を見ることをやっていただければなっていうふうに思います。
それともう一つ、こういうのをやってると必ずひとりよがりになるんです。これだけやったんだから、いいだろうみたいな話で。ひとりよがりはあくまでもひとりよがりですから、結果が出ませんので。ただ、結果っていうのは形に出なくても結果となるものがあります。それによって、みんなが誇りを持つのをさらにもっとここに愛着ができたということが一つの成果になります。だから、単に数値の成果だけを見るんではなく、残っていったものは何っていうこともちゃんと分析していただければなって思います。何の、どんなものでもそうなんですけど、先ほど湯布院の話もしましたけれど、ビジネス、移住もある意味ではビジネスだと思います。ビジネスとして成功するには時間がかかります。だから、今から10年やって10年後にどのぐらい来てくれるか、そこが目標だと思って、ことし100人来るなんていう目標は、要するに、どうやったら100人来させるのかっていうことを考えないで100人来るっていう目標はつくっても意味はないっていうことなんです。ちゃんと具体的な施策があって初めて目標数値が出るんであって、目標数値があってその施策をつくるという形は、今の中では競争にやみくもに進んでいくような、竹やりで進んでいくような感じがいたしますので、まずその辺のとこはじっくりちゃんと考えていただいて、それできちっとした成果を10年後に出すんだぐらいの気持ちでやってったほうがいいんじゃないかなと思います。かといって、10年はかかりません。今の時代の流れはすごく速いですから。昔の10年は、大体5年ぐらいのもんですから。5年間の間にどのくらいのことができるかっていう形で考えていかないと、難しいのかなというふうに思います。
ちょっと時間もオーバーしましたので、私の話は一たんこれで置きまして、質疑応答でさせていただきたいと思います。どうも長い間ありがとうございました。(拍手)
3:
◯藤山委員長
先生、ありがとうございます。
それでは、委員の皆様、お帰りの時間もございますが、4時までのところでフリーでトーキングをやりたいと思いますので、どうぞ御質問ください。
どうぞ。
4:
◯洲浜委員
大変、突拍子もない話させてもらいますけども、ああして農の暮らしとかいろんな、非常に条件がいろいろ厳しくて、最後に先生が話しされたように地域経済の状況では島根は非常に悪いと。特に、秋田と島根、この辺。
それで、私、昔、実は先生は笑われるかもしれんが、カジノ・エンターテインメントを言ったことがあるんです。これは澄田、今亡くなった知事のときに、ちょっとお話ししましたけども、まあ、なかなか難しいんではないかというような話になってしまったんですが、私は島根みたいなところは突拍子もないことをやらないと、今、韓国、中国だんだんやってますね。それで、そこへきて人口はどんどんどんどん島根の場合減ってきている。そうすると、そこに一つの雇用の場を設ける。それで、昔、自民党が政権とってたときには、カジノ議員連盟というのが実はありまして、今は人数が少なくなってしまって動いてないけども。それで東京も晴海埠頭のそういうところで既にやろうとしていた。昔、島根県の中でも益田市は商工会の中でやろうという機運が起きたんです。だから、全国の中で私は早くやらんと、よそがやってしまってからじゃつまらんと思ってまして、これ外貨を稼ぐことにつながっていくんだと思うんですけども、なかなか今のように非常に公共事業に頼ってきた県ですから、まだいろんな整備できてるわけじゃございませんけども、そういったことを考えたときに、それこそ人がやらないようなことを、さっきの10年じゃございませんけども、早く手をつけないとだめなんではないかと思う気がしてるんですが、その辺のところを。
5:
◯臼井参考人
ひところ、カジノの話が盛んになったときに、その研究会がちょっと別物でございまして、私も参加してたんですけれど。沖縄がやりたい、東京都もやりたい、熱海がやりたい、もうメジロ押しでしたよね。今また、千葉が成田空港のところでカジノやりたいという話が出ておりまして。
そうですね。カジノは私も結構、海外も相当行ってるんです。それで、確かにお金は稼げるし雇用は出てくると思うんですが、あわせて犯罪がやっぱりふえますし、不法滞在者も相当ふえるという。だから、その辺のところとの、どう相殺させるかの部分だと思うんです。はっきり言って、もし島根にカジノができたとしたら、どの辺を考えてらっしゃいますか。
6:
◯洲浜委員
益田って言われてたんですね。私は、本当は隠岐を考えてるんですよ。船で行って。
7:
◯臼井参考人
私は個人的には隠岐はあのまんまでいてほしいなと思うんですけど。
8:
◯洲浜委員
そうですか、済みません。
9:
◯門脇委員
隠岐の島前湾に、何か浮かべてカジノやったら。
10:
◯臼井参考人
浮き島みたいな形でね、やるっていう手はあるかもしれませんけど、ただ、やっぱりカジノができることによって、その土地の文化とか何かも全部変わりますので、得るものもあるかもしれませんけど、失うものも大きいという覚悟はなさっておいたほうがいいと思います、それはね。
11:
◯成相委員
経済が御専門なので、教えていただきたいことが。俗に言う、物づくりがだんだん国外に逃げていって、アメリカのようにサービス型の産業の、金融とか、そういったもののところへ…だろうってなことをよく聞かされるわけです。さっきちょっとおっしゃった27ページの生活産業ビジネスという、小さな仕事からまずやりましょうと。大きな仕事はまだ時間がかかるとおっしゃってましたが、大きな仕事っていうのは、どういうイメージなのか。
12:
◯臼井参考人
例えば、ホンダが電気自動車、オートバイとかで走ってますよね。ああいう物づくりの技術系なところから生まれてくるビジネス。もしくは、環境絡みだとか、エネルギーだとか、いわゆる大企業として何か工場をつくって、雇用を生んでっていうことができる、そういう仕事っていうのは、やっぱり雇用も何千人とできるわけですから、日本を左右するだけの力はあるわけですよね。そういうものが、例えばトヨタさんにしてもホンダさんにしても、ある程度、変わっていくのには多少時間がかかると思うんです。でも、もちろん社員の方たちもすべてひっくるめて命かかってるわけですから、頑張っておやりになっていくと思いますから、はい、なくなります、つぶれますという話ではないと思うんですけれど、その過渡期の間に、成熟した社会って、ヨーロッパなんかもそうなんですけど、小さな、いわゆる本当の簡単なビジネス、ビジネスっていって変な言い方ですけど、要するにサービス業的なものがたくさん出てきて、それだけで物すごくお金持ちにはならないけれど、仕事をある程度シェアしていくような形で、ある程度の所得をバックアップしてくれるみたいな、そんなビジネスっていうのが、やっぱりイギリスだとかアメリカなんかも結構スモールビジネスっていうのが多いんです。そういうものが、アメリカの場合は大企業のほうがすごく目につきますけど、スモールビジネスが相当量ありまして、カリフォルニアだとか、ニューヨークだとか、そういうところ以外の、カンザスだとかあんまり皆さん聞いたことないようなところでは、結構スモールビジネスがいろんなことやる関係のビジネスだとかなんとかってやってるわけです。そういった個人事業者の方がたくさんいるんで、結構ある程度の、何ていうんでしょう、経済の流れっていうのがあったんですけれど、日本は意外と個人事業者が少ないんですよね。だから、そこをふやしていかないと難しいだろうなという気がちょっとするんです。だから、大企業だと、はい、どうなったかですべて決まってきますし、それに左右されて日本がふらふらふらふらしてるだけじゃ、それはちょっとつらいので、大企業さんは大企業さんで頑張っていただきながらも、個人事業者の方たちがやっぱり頑張って底支えするようなビジネスをやっていかなきゃいけないんじゃないかなと。個人事業者の方が相手になさってるのは一般市民の方ですから、やっぱりどうしてもサービス業だとかそういう形になってくるわけです。そういうのが数多く出てきて、すごくお金持ちではないけどみんながいい生活が、みんなが豊かな生活ができるような、そんな形になるとお互いに個人事業者のサービスも知り合いの中でやっていくっていうこともできますので、広がっていくのかなとはちょっと感じます。
13:
◯成相委員
私が、何ていうか、不安に思うのは、規制緩和でもうすごい大資本のスーパーとか来てるわけです。もう全部の地域の商店街は口にされてるわけです。そうすると、こういうスモールビジネスというのは本当にやっていけるのかどうなのか、何かそのイメージがなかなかわかないんですね。
14:
◯臼井参考人
そうですね。東京もそうですけど、今だんだんに郊外に出てきたスーパーが全部つぶれてって空き家になってってるんですね。結局、車を運転できなくなってきてるんですよ。高齢者がふえてくると。この地域はよくわかんないんですけど、島根県はどうなのかわかんないですけど、今、私がいろいろ行ってるところの地域で過疎が進んでるところは、足がないんです。公共交通をどうするかっていう問題が一番最初になってくるんです。だから、車で運転して移動できる方はいいですけれど、移動できるうちはね。それもやっぱり75歳、80歳までじゃないですか。80、怖いですよね。だけど、じゃあ、そうなったときにだれがかわりに足になってくれるのか。仕方なしに、それは過疎化の進んだ地域はコミュニティーバスをやっぱり動かさざるを得ないわけです。各地域からこうやって拾っていく。そうすると、できるだけ過疎にならないようにまとめて住んでくださいみたいな話になってくるわけですけども。効率的なものを考えたら絶対そのほうがいいんですが、そうはいっても日本人が守ってきた土地がそれぞれあちこちにあるわけですから、なかなか簡単にそこが進まない。でも、郊外型のスーパーショップは、車で買い物する客がいなくなった途端につぶれますから。だから、今はこれだけたくさんあるかもしれませんけど、この先ずっと残るなんて保証は全然ありませんので。
高齢者ばっかりになった東京では、いわゆる御用聞きが復活しておりますから。御用聞きの復活。それからイトーヨーカドーはネットでの、いわゆるパソコンで何が欲しいってこういうふうに注文しますよね、そうすると届けてくれる。だから、大きいトイレットペーパーだとか、そういったものは全部届けてもらうといいわけですよね。それに、お金がかかんないんですよ、届けることに。それをサービスの一環としてやってるわけです。そうでもして買ってもらわない限りは、物が売れないんです。
だから、企業は競争やってますから、そういう状況になってくる。だから、そこが、東京と地域との違いだと思います。まず、東京の場合は公共交通が充実している。だからみんな、なかなか移住しないんです、ある意味では。だから、足の確保と病院の確保と福祉の確保とか、そういったものが充実してて安心感があるっていうのはとっても大切なんです。だんなさんが運転できるけど、奥さん運転できない人多いですから。そうすると、片方が倒れたときどうすんのとかね。だから、皆さんが当たり前のように使ってる車という足、これは都会にとっては全然当たり前じゃないです。
私は今の住んでるところは、駅から歩いて4分のマンションです。駅から2分のとこにイトーヨーカドーがあって、それが午後の11時までやってます。11時に入ったってお弁当は買えるんですよ。その後、2分歩いたらマンションなんです。そのマンションの隣のとこの1階に、エーエム・ピーエムっていうコンビニがあって、これが24時間営業してるんです。物をまとめて買うなんていう習慣全然なくなります。今のマンションに入ったときに、車売りました。だから、うちのマンションは40世帯住めるんですけど、車は大体20台ぐらい地下駐車場に入れるんですけど3分の1しか埋まってないわけ。今、地下駐車場をどうしようかっていう問題になってるわけ、メンテナンス費がかかるじゃないですか。機械をメンテナンスするのに、20年後には幾らかかりますいって、だれも駐車場要らないって言い出しちゃってるわけ。そのくらい、今大きなさま変わりしてます。
だからそういった、何ていうのかな、都会って言ったら変な言い方ですけど、人口が集中してる首都圏の人たちの生活っていうのと、やっぱり地域での生活の違いの中からこのよさをどう売り込むかっていうことが私はポイントじゃないかなと思います。済みません、お答えになったかどうか。
15:
◯成相委員
いえ、ありがとうございました。
16:
◯中島委員
次、いいですか。
ちょっとくだらんこと聞きますが、ここでクラインガルテンの話が出てましたが、これはなるべく都心から近い方がいいんだろうと僕は思うんですけども。実は、私は島根県の西部に住んでまして、空港の利用拡大とクラインガルテンっていうの1回研究したことがあるんですが、それは農地法の関係でなかなか難しい面もあるみたいだけども、今見てみるとさまざまな都会のニーズがある中で、その条件を整えれば、例えば距離はあるけれども可能なのかどうかですね、飛行機を使ってこういうとこに来るのか。
17:
◯臼井参考人
それも調べたんです。なぜかっていうと、高知県はクラインガルテンつくったときに、関西からは車で来られるけれど、東京の人に来てほしかったわけね。その可能性があるかどうかと。やっぱり、交通費考えて。
18:
◯中島委員
この助成費とかいうのもありますよね。
19:
◯臼井参考人
交通費の助成金が出ればいいけど、やっぱり飛行機代高いわけですよ。例えば、もし飛行場としたら米子ですか、今おっしゃっているのは。
20:
◯中島委員
いや、私のところは、萩・石見空港です。
21:
◯臼井参考人
萩・石見空港ですか。そうすると往復大体幾らぐらいですか、東京だと。
22:
◯中島委員
今、5万ぐらいですかね。5万……。
23:
◯洲浜委員
過ぎるわね。
24:
◯臼井参考人
だから、例えばパックの場合は泊まるとこもセットじゃないですか。泊まるのは、例えばクラインガルテンがあればそこに泊まればいいと思うわけですよ、みんな。だから、そういうのとセットである程度安い値段で、例えば1カ月間何回来るとどのくらいお得とか、いろんなものをつくれるんだったら違うかもしれない。それで、毎週来るっていうのはちょっとしんどいじゃないですか。
25:
◯中島委員
だから、それから今これヒントがあったのは、管理をきちっとできる体制をとらないかんなと…。
26:
◯臼井参考人
そうです、そうです。それは絶対あります。
27:
◯中島委員
それを、こううまくセットすると、ある程度可能性が出てくる…。
28:
◯臼井参考人
シミュレーションしていただきたいのは、例えば月に何回来たときに一体幾らかかるかっていう、そのシミュレーションが必要ですよね。それが、例えば本当に車で2時間行かれるところと比べてと。なぜかというと、飛行機だと物持ってくるのはなかなか難しいじゃないですか。車だと何でも積んでこられる。この利点がやっぱり大分違うと思います。
29:
◯中島委員
わかりました。ありがとうございました。
30:
◯臼井参考人
ちなみに、さっきのボランティアホリデーってあるじゃないですか。あれを考えたときに一番最初に御相談に行ったのが阿寒町長さんだったんですよ。今、だから釧路市の、吸収合併されましたから、市町村合併のときに釧路市に入ったんですけど、阿寒の町長さんは、あそこが空港が近いのと羽田も空港が近いから羽田空港に近い老人ホームの方が釧路空港とか女満別空港におりて、そのまんま阿寒に来てくれるといいなって思ってらっしゃったわけ。で、何かうまく交流できないかしらと。そのときに、飛行機代もパックでセットにして何とかできないかしらっていうのを感じてらっしゃって、私がボランティアホリデーっていうのをこんなふうにつくったらいかがですかって言ったときに、じゃあ、それで1回やってみようよっていう形で始まったんです。だから、何かきっかけがあったときに、その気があればだれかに話してると、だれかとだれかとかがつながって、1回やってみようかっていう話が出だすので、もしそういうお考えがあったときには、いろいろとつなげていただくのが一番いいじゃないかなと思います。
31:
◯門脇委員
定住という切り口で見たときに、Iターン、それからUターン、それから今お話にあったようないろんな企画で人を呼び込むっていうのがあるんですけど、僕は隠岐の国の生まれで、さっき話された海士町生まれなんです。
32:
◯臼井参考人
そうなんですか。
33:
◯門脇委員
今、海士に住んでないんですけど、いずれにしても、僕なんかは隠岐の枠の中で生まれたとこから出て、隠岐の島町に今住んでるんです。そこから見たときに、やっぱりUターンをもう少し大事にすべきじゃないかっていうふうに考えてるわけです。島根のエリアで、島根県で生まれ育った者がもう1回島根へ帰ってくるという、例えば今、過疎化現象の中では居住地をもう本土のほうに移してしまうと墓を持っていくわけです。そうしたら、もう生まれ育ったところに帰ってこないんです。これが、非常に僕ら隠岐に住んでる者としてちょっと悔しい気もするんです。そういう人たちに墓を持っていかずに置いといて、1週間でも、あるいは1カ月でも1年でも帰ってくるような気持ちを醸成するような企画みたいな、そんな発想を持ったことができないかなというふうに。例えば、具体的にどういうことがあるか、少し発想があれば教えていただきたい。
34:
◯臼井参考人
Uターンというのは、すごく私もねらいどころだと思ったんです。それで、前そういうようなお話があったときに、校長先生とお話ししてたときに、卒業生の名簿送って、同窓会ビジネスをやってるというのがあるんです。ネットでも同窓会ビジネスっていうのが、一つありまして、これ関西圏ではすごい盛んなんです。東京はあんまりやんないんですよ。いろんなどこそこの何回生で探してきてくれるんです、今あの人はどこに行ったっていうのを全部探して集めて同窓会をセットしてやってくれるっていう、そういうビジネスがあるんです。そういうビジネスと手を組んで、それを頼むんじゃなくて手を組んで、何ていうんでしょうね、例えば海士町出身者、何年のいつの人たちどこ行ってるってそういうのの全部リスト化して、そこに一度海士町に戻られませんかDMみたいなものを全部打ってみるとかいう形で、もう一度、あと大人の目でふるさとをもう一回見てみませんかと。必ず戻りなさいなんて余計なことは言わずに、やってみるっていうのも一番いいんじゃないかなと。離れてると昔のイメージしか残ってないじゃないですか。出ていったときにいいイメージばっかり持ってる方ばかりではないので、違った目で見てみると、ああ、ここやっぱりよかったよねっていうので、もう一度戻ろうという気になる方は結構いらっしゃると思うんです。だから、やっぱりそういう意味での中学、高校までの同窓会名簿をうまく活用していただきたいなっていうのはあります。
さっき、お墓のお話が出たんですけれど、都会の人たちが最近お墓を必要としなくなってきてますよ。ネットの中のお墓って知ってますか。神戸のほうにあるお寺さんがネットで中継していて、拝むのを、これをちゃんとアクセスしてこうやって拝むとちゃんと拝めるっていう形になってるんです。そのくらい、要するに、さっきの無縁社会じゃないですけど、家族のきずなだとか、それからいわゆる昔の家のきずなとかそういったものが全然なくなっちゃってるんです。なくなっちゃってるから、じゃあ、それでいいのかっていうとそうじゃなくて、結構懐かしがってる人もあるわけです、一方で。面倒くさいんだけど、やってみたいなと。だから、逆に言うと、何ていうのかな、一つのストーリーとしてのツアーを組むときに、昔の日本を訪ねる旅じゃないけれど、何か例えば家とかお墓だとか、こうだったんだよっていうのを教えてあげるような、そんなものって企画してもおもしろいのかなっていう気はしました。なぜかというと、そういうのって知らない人の方が多いですから、今。都会の人で知らない人がほとんど多いと思う。だから、昔の日本の伝統っていうような家のしきたりなんていうのも、物珍しさでみんな喜んで見ます。だから、そういうところのよさっていうもの、それから大変なところもあるかもしれませんけど、そういうものも全部ひっくるめて。そのときに、あなたのおうちのお墓はどうなってんのっていうのを考えさせるとか。それで、例えばここに来たらこんなふうになるんだよみたいな話ができるとか。だから、直接的にやるより、ちょっと間接的に入っていかないと難しいのかなという感じがします。
でも、これから先はお墓ビジネスっていうのは出てきますから、私が知ってるのは軽井沢のちょっと先に嬬恋村っていうのがあったんです。その嬬恋村っていうのは、その上が万座温泉、草津温泉があって、いつも通過されてしまうからって通過地点で、別荘もあるんですけど、皆さん軽井沢のほうに買うから北軽井沢って一生懸命名前つけたんだけれど、なかなか売れないとかいう話があって、村長さんから何とか町おこしを助けてくれっていう話でいろいろとお手伝いしたことがあるんですけど、今は妻を恋するうたっていうのをつくって、銀婚式を上げて結構受けてるんです。だから、60過ぎた方たちが嬬恋村の嬬は女へんに、まさに妻って書くんですね。だから、お母さんにありがとうというのを、お父さんがわざわざやるっていうのを、何かちょっとイベントチックにして、そこに来てやるといろいろ記念の何とかを差し上げますみたいな形で、結構人が来るようになったっていうことがあるんですけど、そこがやろうとしていたものに別荘地があるんで、お墓とか、それから、いわゆる冠婚葬祭ビジネスをやってる会社と手を組んで、別荘に住んで、死んだ後の、要するに最後まで面倒見てあげますみたいな、お墓はここにありますみたいなものも全部セットしてやっていくビジネスを考えたいっていうので、いっとき動いたみたいですけど、そこのお墓ビジネスをやろうとしてた会社があんまりうまくいかなくて、ちょっとだめになったっていう話は聞いてます。
だから、東京はもうほとんどセレモニーホールみたいな形で、すごい、何ていうかな、お葬式も非常に簡単になってきちゃってるんです。昔ながらの、何ていうのかな、いわゆるお嫁入りもそうですし、それからお葬式もそうですし、地域独自のものってあるじゃないですか。ああいうものを見る機会も全然ないんですよね。だから、おひな祭りとか、この間は宮崎に行ったときに飫肥っていう小京都がございまして、そこでおひな祭りの飾りつけをずっと各町屋がやってらっしゃって、そこを旅して歩いて回る旅みたいなのをやってたんです。だけど、本当におうち、おうちのおひな様っていうのは、東京では見られないもんだから、東京から来た女の子たちがきゃあきゃあ言いながら喜んで見てたんです。だから、そういうものも全部あるんで、何か自分のこの先の一生を考える。今から準備しておく旅みたいなんていうのもあってもいいのかなみたいな感じがいたしましたので、何かそういったものを、もし何かまたいいのございましたら、御連絡させていただきます。
35:
◯藤山委員長
珍部先生。
36: ◯珍部委員
じゃあ、済みません、1つ。
最後に3つの実感を感じられる仕事という話があって、貢献、成長、協働ということだったんですが、それで、僕も今32歳なんですけど10年ぐらい東京のほうにいて、それでUターンしてきて、Uターンで選挙っていうのもおかしな話ですけど、Uターン組みたいなもんなんですが、まさに同世代見てると、一番難しいのが成長の実感っていうのが今僕らの同世代でこの島根で働いてる人からすると、何か物足りなさをみんな感じてるのかなんていう印象がありまして。聞くと10年間ぐらい仕事してても、給料は下がることがあってもふえないとか。役職も全然上がることもなく、いつまでもずっと同じ仕事ばっかりしてるとかっていうのがあって、これはどうしても今の産業の構造上仕方ないのかなっていう部分はあるんですけれども、今の産業のそういった構造、変われば一番いいんだろうけれども、なかなか変えるのも難しいと思うんですけども、この現状の中でも何か若い人たちが自分が成長してるなと実感できるテクニックというか、何ていうんですかね、仕事以外の部分でもいいんですけれども、何か少しは実感してもらえればUターンもふえるかなと思うんですけど。
37:
◯臼井参考人
その成長実感って、とってもちっちゃいものでもいいんだと思うんですよ。例えば技術的なもので、きのうできなかったことがきょうはできたとか。ちっちゃいときに、例えば逆立ちができなくて一生懸命、一生懸命練習してやっとできたときのうれしかったみたいな、ああいうような感覚と同じように、仕事でも本当小さいことの積み重ねでも、例えばプレゼンテーションでも、前は全然人前に立つと上がってしゃべれなかったのが今度うまくしゃべれたと。だけど、それを一つの何ていうか、マイルストーンみたいな形でここまでできてよかったね、ここまでできたら褒めてあげようみたいなものを自分でつくれるようになってくるといいんですけれど、なかなか皆さん自分でつくれないんですよ。それをつくるお手伝いを周りの方がしてさしあげれば、それだけで自分が成長してるって自分で感じたらほっといても一生懸命やるようになると。そんなもんだと思います。
38:
◯藤山委員長
よろしいですか。
39: ◯珍部委員
はい。
40:
◯藤山委員長
執行部の皆さん、いかがです。御質問ございませんか。よろしゅうございますか。
先生、最後に一つちょっと教えていただきたいんですが、このテーマを決めまして、昨年和歌山の那智勝浦の色川地区ですね、視察させていただいたんですけども、ことしの12月にこのテーマをまとめて知事に提言していこうというスケジュールの中で、夏過ぎくらいにもう1カ所ぐらい県外視察を計画しようかなと思ってるんですよ。何か、先生、島根のテーマにふさわしい地区ですね、御紹介いただければと。
41:
◯臼井参考人
そうですね。幾つか候補がございますけれど、もうちょっと島根にぴったり合ったところっていうのを少し考えてみたいと思いますので、私のほうで考えて候補を差し上げますのでお選びいただいてみたいな形にしていただければと思います。それぞれの特徴がありますので、どこの何を見たいということを御連絡させていただいたほうがいいかなと思ってます。
42:
◯藤山委員長
よろしくお願いします。
43:
◯臼井参考人
了解いたしました。
44:
◯藤山委員長
それでは、委員の皆さん、よろしゅうございますか。(「はい」と言う者あり)
それでは、以上で参考人招致による意見聴取を終わります。
臼井先生には、大変貴重な時間御意見をいただきましたことを御礼を申し上げる次第でございます。ここで、臼井先生御退場でございますので、拍手をもってお送りしたいと思います。(拍手)
〔参考人氏退席〕
45:
◯藤山委員長
執行部の皆さん、どうぞ御退席ください。
委員の皆様、少しお残りいただければと思います。
〔執行部退席〕
46:
◯藤山委員長
それでは、委員の皆さん、4月の26日月曜日から27日火曜日にかけて実施いたします県内視察について、スケジュール等を事務局から説明をしていただきますので、しばらくお聞き願いたいと思います。
47: ◯事務局(柏原書記)
そういたしますと、日程のほうを御説明をさせていただきます。
4月の26から27の関係でございますですけども、一応ここに目的がありますように、今回の目的のほうは県外からの定住を促進するために、さまざまな視点で人口の増加につながる効果的な施策を調査するということで、4月の26日から27日、1泊2日で視察を行う予定になっております。
日程のほうは裏面のほうをごらんいただければと思います。一応、26日のほうに県庁のほうを出発いたしまして、9時半、島根大学医学部のほうで珍部議員さんに来ていただきまして、10時35分に仁摩支所。それから、11時50分に邑南町に着という形で、昼食のほうは香遊館のところで昼食をとる予定にしております。1時から邑南町のほうで、UIターン事業の取り組み状況といったとこで視察を行うという予定にしております。ここにおきましては、一応、予定としておりますのが、特に邑南町さんは香木の森の事業の関係を長年やっていらっしゃいます。今が18期生になっていらっしゃいますけども、これと途中からスタートした農業関係の研修、この2つが大きな邑南町さんの取り組みになっております。それですので、最初にUIターン事業でそういった今までの取り組みにつきまして、役場のほうから話をいただいて、あとそこでUIターンの方、現在のところ3名の方が御出席いただけるような形になっておりますので、その方々とお話と。UIターンの方の中には、産直市のほうで仕事をしていらっしゃった方とか、福祉施設のほうにUIターンで入られた方とか出ていただけるようなという予定になっておりますので、その方々と意見交換という形になっております。
その後、近いですけど香木のほうに行きまして、香木の森の施設見学のほうも入られた方も多々いらっしゃるかと思いますけども、一応中のほうを御案内させていただいた後、ここでも研修生との意見交換という形の予定にしております。特にここでは、研修生の実際やられた方と、それから修了生の方、そういった方に出ていただくことにしておりますので、まさに研修を受けられた動機だとか定住を決意された動機、そういったことをいろいろ意見交換すると、そういった定住施策にどういったものがやっぱり必要になるかといった、きょうの先生のお話にもつながってくるのかというふうに考えております。その後、宿泊のほうはいこいの村という形で宿泊のほうを予定しております。なお、キャンセルにつきましては、22日までという形になっております。今のところ、皆様御宿泊いただくという予定になっておりますけども、もし仮にキャンセルといったことがございましたら、22日までということで御連絡いただければと思っております。
明くる27日でございます。火曜日になりますけども、8時10分、当初は8時としておりましたけども若干10分余裕を持っておくらせていただいて、8時10分にスタートいたしまして、反田組さん。反田組さん、会社に農業部という形を持ってます。経済特区のスタートから始まっておりますけれども、Uターンで息子さんが帰ってきて農業部をやっていらっしゃるというところでございます。今、特に有機JAS認証のゴボウのほうを中心として、現在、非常にやっていらっしゃいますけども、そういった現地を見ながら、そういった企業参入で農業の部門に帰ってきたといった事由について農業部長の息子さんのほうからお話を伺おうという予定にしております。ここでは、一応現地のほうで話していただくようにしておりまして、もし仮に雨ですとちょっと車中での御説明になるかと思いますけれど、御了承いただきたいというふうに思っております。
それから、9時40分のほうに反田組を出発いたしまして、10時10分には風の国といったところへ到着いたしまして、こちらのほうでUIターン事業の関係の江津市さんの御説明をいただくことにしてます。特に、江津市さんの関係は空き家バンクとかございますけれども、そういった空き家活用の定住促進の事例というところで、まさに空き家の事業によって人材獲得といった構想をもとに江津市さんやっていらっしゃいますので、そういった空き家バンク事業からスタートして、桑茶などの健康産業のものが起きたり、それからいろいろ福祉施設の雇用創出なり、そういったものにも活用されてきておりますので、そういった事例的なお話。それとNPO法人さん、新たなIターンで入られた方を中心とした結まーるプラスとか、でございますけれども、そういった新しい人材の方が空き家バンクの管理だとか、それからコミュニティービジネスとか、そういったものを新たに起こしていらっしゃいますので、そういった取り組みについて御説明があるかというふうに思ってます。UIターンの方といたしましては、江津市さんのほうからもそういった方々について出ていただけるようにお願いがしてありまして、一応御出席いただく予定にしておりますのが、Iターンで入られた方、それから含めて3名の方に御出席いただくような形になっております。子育て世代、リタイア世代、働く世代といった、それぞれのパターンの方がいらっしゃる、そういった方に御出席いただいて、それぞれの、なぜ入ってこられたかっていうことについてお話しいただけるような状況になっております。
昼食のほうを、同じく風の国でとらさせていただきまして、中島先生、田中先生につきましては、こちらで一たん終了という形になりますけども、バスのほうにつきましては江津経由で東のほうに向かってまいりますので、途中、江津市さんのほうからは空き家バンクのところ、外から一応こういったところに空き家バンクで活用していますといったところを御紹介させていただくような予定になっております。
1泊2日の行程につきましては、雑駁なところはそういった内容になっております。
48:
◯藤山委員長
ありがとうございます。
それでは、委員の皆さん、当日時間厳守で御集合いただきますようお願い申し上げます。
以上で、本日の総務委員会を閉会いたします。ありがとうございました。
発言が指定されていません。
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